人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス | WIRED VISION

 最初は直感的に、「前者の例では直接の死因はトロッコに轢かれたことになり、後者では突き落とすこと自体が原因になるから」と思ったけど、違うか。後者でも「落としたってそこにトロッコが来なけりゃ死なないんだから、直接の死因はトロッコ」と言い張れるな。
 すると、自分の手を動かしたことと人が死ぬことの間に何段階のピタゴラ装置が噛むか、が問題なのかな。もちろん何を「一段階」と数えるべきかによって変わるだろうけど、「ポイントを動かす→トロッコの行く方向が変わる→そっちにいる人が轢かれる」と「突き落とす→そこにトロッコが来て轢く」では、より後者のほうが「直接手を下している」状態に近いから、かしら。

追記

 はてブのコメントに片方には、「自分が犠牲になる」という選択肢があるからだろってのを見つけて目からウロコ。それはまったく欠片ほども思わなかったなぁ。たぶん俺の場合は、「人命はみな等しく大事」だと思ってないからだな。「自分≧家族や親しい友人>知人>利害関係のある他人>赤の他人」ぐらいの順番で、明らかに俺にとっては生命の価値が違うんで、こういうケースで「自分が犠牲になる」という発想が出てくる余地は俺にはないんだろう。