神代創『ディアブロガンナー』(幻狼FANTASIA NOVELS)

 人の心と人ではない力を持ち復讐に生きる男が街を渡り歩く、ってのがしみじみ好きなのかしら >作者。
 てなわけで面白かったんだがなんか薄味。『ソードジャンカー』でもそんな感じはしてたけど、心理描写があっさり控えめだよな。おかげでいまいっちょクライマックスの盛り上がりがもの足りぬ。もっとも、だからってこってりドロドロとした作品はそれはそれで「読んでて疲れる」とか思うんだから読者ってのは我が儘なもんだ。
 ところで、西部開拓期をモデルとして超自然要素を加味した異世界(おおむねリボルバー蒸気機関車な技術レベル)を舞台に、主人公は開拓民社会に属するがややアウトロー気味、重要な脇役として超自然要素へのスタンスが開拓民とはまったく異なる先住民(もちろんモデルはネイティブアメリカン)が存在、てな作品が最近になって増えてるような気がするな。『〈本の姫〉は謳う』『ドラゴンキラー』『此よりは荒野』『影執事マルク』。そういや忘れた頃にやってきた『レディ・ガンナー』もそうか。異能や特殊技能が無く知恵と勇気が人並みでも、テクノロジーと練習でなんとかできるかもしれないお話も好きなんで、ちょっとうれしい。

なんか最近そういう話題で盛り上がってるらしいけど、

 眺めてると、表現規制に賛同する、あるいはそもそも「危険な表現」の存在を認める左翼の人なんてのが存在するらしい。少なくとも当人にとっては左翼であることと規制すべき表現が存在しうるということが無矛盾に両立し得るのか、不思議不思議。
 (プレイ|視聴|読書)した人に他者の権利を侵害する行動を惹起する可能性のある表現を規制すべきだってんなら、まずは可能性どころか実際に大躍進政策文化大革命スターリン粛正とクメール・ルージュ虐殺を生んだ、エンゲルスだのマルクスだのレーニンだのの諸著作なんぞ直ちに発禁にすべきだとは思わないものなのかしらね。