H.P.ラヴクラフト『文学における超自然の恐怖』(学習研究社)

 「惑星間旅行小説の執筆に関する覚書」がなかなか面白い。異世界の存在の名称は人間の発声器官の能力と無関係なはずだとした人らしいSF論。書かれたのが1934年だそうだからスペースオペラパルプ雑誌の全盛期。それが今でも的確に当てはまるってのは、ラブクラフトが先駆的なのかこの4分の3世紀間の創作者に大した進歩がないからなのか。↓の各フレーズなど、専門学校のラノベ科とやらあたりで必須テキストにしたり、各ラノベ編集部の壁に額に入れて掲げたいくらいだ。いや、3つめにいたっては、そもそも初歩的な進化論の帰結として、中学校の理科に取り入れるべきかも。

  • 優れた惑星間旅行小説はリアルな人間を登場人物にしなければならない。この種のありふれた駄作に登場するような、陳腐な科学者、卑劣な助手、無敵の主人公、科学者のかわいい娘を使ってはならない。事実、「悪漢」や「ヒーロー」や「ヒロイン」を使うべき理由などないのである。
  • いうまでもないことだが、宇宙旅行の機械学や天文学等にかかわる諸点を描写する際には、厳密に科学的事実に従うことが絶対的に不可欠である。読者のすべてが科学に無知ではないので、真実に歴然たる違反を犯すと、誰かにそれがわかって、小説が台無しになる。
  • 異星に住民がいること−−あるいは宇宙旅行がおこなわれたときに住民がいること−−は必要ではない。もしも住民がいるなら、有史前に出発した地球からの植民探検隊の子孫でないかぎり、外見、知性、感情、言語が、人間とは決定的に異なっているはずである。

文学における超自然の恐怖

文学における超自然の恐怖